<harmony> ハーモニー : フィクションというより書物としての完成体
だいぶ前に読んで衝撃を受けた作品について記録しておきたいと思う。
直接手的なネタバレは主に無いので気になった方はぜひ読んで頂きたい。
個人的にこの作品よりも素晴らしいと思ったものに未だに出会えていない。
あらすじ
21世紀後半、大災禍(ザ・メイルストロム)と呼ばれる世界的な混乱を経て人類は大規模な福祉厚生社会を築き上げていた。
医療技術の発達で病気がほぼ駆逐され,人類は身体を,自分を,他者を,大事にするようになった。
そんな見せかけの優しさや倫理が横溢する``ユートピア‘‘で人々は暮らしている。そして,息苦しさを感じていた3人の少女は共に死ぬことを選んだ。
それから13年。死ねなかった少女・霧慧トァンは,再び世界が陥った大混乱の最中,だだひとり死んでいったはずの少女の影を見る。
感想
ユートピアに見せかけたディストピアという皮肉
まず作中序盤では,ハーモニーの世界観そのものであるユートピア的側面がトァンの日常と共に語られていく。
医療技術の発展により病気と人の身体にはどう変化が起きているのか,人々はどのような生活を送っているのか....
だが,同時に語り手であるトァンからは13年前の回想などを通して,生きづらさ,息苦しさが語られる。
さらに,作中中盤から終盤にかけてはユートピアに見えた世界が大混乱に見舞われる。
大災禍を経験して変化し成長したかに見えた世界が危ぶまれるさまは,完全な世界などは存在しない,と言っているようである。
また,病気の駆逐という偉業が成し遂げられた世界にも関わらず,主人公を含む幼い子供達が死を望む様は「こんな世界は理想郷なんかじゃない」と皮肉っているようでもある。
如何にして医療の発達と優しさに溢れた世界が子供達を追い詰めているのであろうか。
言語化されない息苦しさ
誰しも悩みや不安は多かれ少なかれ抱いているものではあるが,その中でも深刻な生きづらさというものを感じたことはあるだろうか。
ハーモニーではこの生きづらさや息苦しさ,言語化できない苦しみが裏のテーマとして込められているのではないか。
「真綿で首を締められる」作中そう表現された生きづらさは,同じように現代で苦しむ私たちにとっての一種の理解者...あるいは代弁者と思わせる繊細さが感じられた。
進化は継ぎ接ぎにすぎない
序盤は便利さによって堕落する人間、中盤は世界を襲う大混乱の裏に隠された人類の進化の布石、終盤は進化の結果、のように人類としての進化が作中で描かれている。
それらはまるで、「長い年月をかけて変化し続けてきた進化の軌跡は、その場しのぎの継ぎ接ぎの産物にすぎないのだ」という著者である伊藤計劃の学術的見解のようである。
その見解はある種興味深くも恐ろしく,真実味があるようにも受け取れた。事実か否か病理に明るくない為判別のつかないが、作中では糖尿病の話が登場する。
病名としての認知度的に読者には伝わりやすい例えであり、この話で進化というテーマについてより惹き込まれた。
また、誰しも一度は意識というものの実態は何なのかと思いを巡らせたことがあると思う。著者である伊藤計劃にとってはこの本がそれの答えなのだ。
教示される気持ち良さ
トァンは回想の中で度々、共に死のうとした少女の1人であるミァハに諭されている。如何にして自分が死ぬべきか...昔の文化や出来事...思想...
まるで、ミァハを教祖とした宗教であるかのような、それ程ミァハは聡明でいて脆かった。
しかし、読者にとってミァハはあくまで登場人物の1人にすぎず、トァンのようにミァハの言うこと全てを肯定的に受け入れたりはしないだろう。
だが、序盤の回想に出てくるミァハの教示は、ハーモニーの世界の技術や文化が昔(読み手である我々の現代社会)とはどう違ったのかという話であり、さながら世界史の授業を受けている気持ちになる。
そうして、トァンと共にミァハの教示を受けていくうちに,教わる楽しさ嬉しさのようなもの感じるようになる。
気付けば思想や思いまでも受け取ってしまうような、惹き付けられる勢いがミァハにはあった。
そしてなによりもミァハによって告げられる言葉の数々が、今は亡き伊藤計劃の遺言であるかのように感じ、読み終わる頃には今まで味わってこなかった教示される気持ち良さを覚えていた。
洗練された想像力
一見してユートピアのようであるハーモニーの世界は遠い先の未来であり、発達し変化した技術で溢れている。
そして、その技術の変化によって文化すらも変化する。そこまで考え込まれ構築された世界観は読み進めていくワクワク感を与えてくれる。
それらの中でも、「デブ」というありふれた侮蔑表現がなくなっているというのは驚いた。その理由についてはぜひ実際に読んでみていただきたい。
最初からある違和感の仕掛け
この作品は作中に〈〉で区切られている箇所がやたらある。
そして、「rule :」 というタブ付けのようなものや箇条書きのような箇所もいくつかある。
最初の方はこの奇妙な作風に違和感を抱いていたが、結末を迎えてこの作品の仕掛けの巧妙さと構成力に圧倒された。
この作品はただのSF小説ではない、文体を通して語られ、記録され、保存される書物としての完成体なのかもしれない。
そう思わせてくれる素晴らしい作品だった。