フィクション履歴

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クワイエットプレイス : 息を飲む緊迫感と家族愛

2年くらい前に見たホラー映画のネタバレ無し感想です。

ただ怖いだけじゃない、絶妙なスリルがある 。

クワイエット・プレイス (吹替版)

クワイエット・プレイス (吹替版)

  • 発売日: 2019/01/09
  • メディア: Prime Video

作品概要

作品 : クワイエットプレイス

ジャンル : 洋画-ホラー

監督 : ジョン・クラシンスキー

キャスト

  • ジョン・クラシンスキー
  • ミリセント・シモンズ

あらすじ

音を出してはいけない...

奴らが来るから...

荒廃した世界で、アボット一家は手話を使えたこともあり生き延びてこられた。

しかしその生活の過酷さ、迫り来る恐怖

果たして一家は生き残れるのか...

感想(ネタバレ無し)

音を立てることが許されない過酷さ


奴らは音に反応する。音を立てればやられる。

音を立てなければいい、だが簡単ではないことを冒頭で教えられる。

そして、奴らは人類よりも高位な捕食者であることも。

突如天敵が現れることで、日常は緊迫した世界へと変化した

音をたててはいけない。

それは、人が生きる上で如何に過酷なことなのか、この映画を見るまで本当の意味で理解出来なかった。

家電、食器、靴、会話までもが制約された中での生活。

食料調達すら命懸け。

ホラー映画なのに登場人物は悲鳴すらもあげられない。

だからこそ、見ていて伝わる緊迫感。


生き残れたのは、ごく普通の家族


他のホラー映画は本編丸々恐怖に呑まれる非日常的な時間を描いているが、この映画はごく普通の家族の日常が描かれている。

音が出せない以外は、ごく普通の生活を送っている。

一家には3人の子供がいる。それもまだ幼い子供。

子供のうちは遊びたいものだから、音を出さずにできる遊びなんかを楽しむシーンがある。

母親が洗濯するシーンなども。

この家族は生き延びるだけでなく、音を立てられない緊迫感の中生活してきた

ラストに向けて不穏な空気に


前述した通りこの一家はごく普通の家族であり、小さな子供がいる。

そして、どの家庭でもあるように、親と子で僅かなすれ違いが起きる。

さらに、物語が進むにつれて音が出せない状況にも関わらず危険な事態が予想され...

ただ怖いだけでなく緊迫感の中、この先の展開はどうなるのかというスリルも感じられる。

そして...


ラストのスリルと描かれる家族愛


と、なるべくネタバレはしたくないのでここまでになってしまいます。

最後に言えることは、家族の愛があったからこその感動と衝撃のラストに繋がります。


その様子には、ホラー映画なのに心に込み上げるものがあります。

少しでも気になった方は是非見てみてください。

クワイエット・プレイス (吹替版)

クワイエット・プレイス (吹替版)

  • 発売日: 2019/01/09
  • メディア: Prime Video


考察(以下ネタバレあり)

ここから先はネタバレありの考察になります。
まだ見てない方は読まないことをおすすめします。






冒頭の衝撃の意味


まず冒頭の、末っ子の男の子がやられてしまうシーンですが...

あの男の子は我々視聴者を意識してのシーンだと思いました。

なぜなら、

音を立てられない世界で生活を続けていて、

緊迫感を持っている一家に対して、

私たちはまだ音を立てた時の本当の恐ろしさを知らない。

言わば子供のような立場です。

だからこそ、奴らの恐ろしさを印象付けたい冒頭において

多くの人々がやられていく様を冒頭に持ってくるのではなく

あえて、中心人物達のうちの一人でしかも最も幼い末っ子を用意し犠牲にして、衝撃を与えてきたのだと思います。

だって、私も見ていて、好きなように玩具で遊べないなんて可哀想だな...とか呑気に思ってましたもの笑

まるで,そんな思いや甘い考えすらも,この世界では即座に命取りだと,突き付けられた気分です。

あのシーンによって勿論一家は大きな悲しみと喪失感、罪の意識を抱えることになっていきますが

同時に視聴者にも大きな喪失感と共に、この映画は 無慈悲であることを意識させられます。


長女の存在の大きさ


長女の存在は設定的にも展開的にもとても大きな役割だったことに視聴し終わった誰もが気付かされたと思います。

長女と奴らは対となっています。

奴らは盲目でその代わり高度な聴覚を持っている。

そして、仲間とのコミュニケーションや周囲の状況把握には反響定位(コウモリなどが行う音波の反響で周囲を把握する)らしき行動をとってます。

その点、長女は耳が聞こえません。家族とのコミュニケーションにも手話を用いています。

しかし、この手話の習得があったからこそ、この一家は他の人達とは違って生き延びてこられた

そして同時に、長女の補聴器の改良を父が熱心に取り組んでいたからこそ、奴らの弱点を見つけることが出来たのでしょう。

つまり、難聴を抱えた長女の存在は,ただ物語のスタートとして一家が生き残れた理由を付随するための為ではなく

ラストの逆転劇へ持っていくための切り札となったわけです。


アボット一家に焦点が当てられていた理由


作中は常にアボット一家に焦点を当てています。

登場する他の人といえば、森の奥の家屋で奥さんがやられてしまい自暴自棄になったお爺さんくらいです。

あとは父がひっそりと他の生き残りとの連絡を試みて無線機らしきものをいじっているくらい...

余計な登場人物がいないことで、視聴する側は1つの家族に集中することができます。

そして,音が出せなくなった世界での家族の今後に目が離せなくなります。

その結果,家族間の互いの思いが強調されて伝わります。

母の末っ子を守れなかった罪の意識

父の子供達を守り育てる責任感

長女の疎外感

長男のまだ子供でいたい気持ち...

ホラー映画であるにも関わらず、登場人物達の恐怖以外の気持ちが際立っていてとても面白いです。

こうして、奴らによって生活を脅かされながらも助け合う家族本来の姿が描けているのだと思います。


ラストに向けて
一気に恐怖とスリルを高められる


家族の姿を十分視聴者に見せたところで、

ここで出産というとんでもないシーンが迫ってきます。

音を出せば襲われるそんな世界で、まさか子供を産むなんて...

凄いことですよね。

しかし、この一家は、この日の為にいくつも準備をして来ました。

ただ、ここでトラブルが続きます。

急な陣痛、バラバラになっている家族、合流が難しい状況

サイロ?のようなものに落下してしまう姉弟

その間も奴らは襲ってきます。

そうしてどんどんスリルと恐怖が高まり、ラストへ繋がります。


「愛している」...言葉を残した父の死


冒頭では末っ子が襲われ、

そのシーンはかなりの衝撃であったと思います。

そして、ラストでもこの一家には不幸が訪れます。

それが今まで一家を守ってきた父の死です。

この死は冒頭の死とは対称的に、良い意味での見せ場となっていました。

冒頭の末っ子の死では

アボット一家、視聴者共に大きな喪失感を植え付けられました。

しかし、父の場合は覚悟の上での死です。

愛する娘と息子を守るため

あの日助けられなかった幼きわが子の為

長女に伝えきれずにきた、愛してる

言葉で伝えるよりもずっとずっと重みあるシーンだと感じました。

手話本来の、手の動作をもって意味が伝わること

身を呈して守るという行動をもって、真の愛であることが

上手く絡み合っていました。

奴らにやられる姿はあっけないですが、

それでも家族を守る父親として

立派に立ち向かっていた姿でありました。

こうして、冒頭では失った死だったものが

愛を獲得した死となって、大きな浄化効果(カタルシス)を生んだと思います。


そして立派だった父親のように

残された家族は奴らの弱点をついて

立ち向かっていくことを示唆するような終わり方で

物語は幕を閉じます。


続編では奴らに対抗していけるのでしょうか。

私も見れる日が楽しみです。